私たちは、エゾナキウサギの保護と天然記念物指定及び絶滅危惧種への指定を目指して活動している団体です(全国の会員は、現在2582名)。私たちは、下記のことを要望致します。
第1 要望事項
エゾナキウサギは、今から3.5〜4万年前の氷期(ヴュルムT期)に大陸から渡ってきた後、現在まで北海道の主に山岳地帯に生き残ってきていることから、「氷期の遺存種」と呼ばれています。また、貯食活動や鳴き声によるコミュニケーションなど、ウサギ目の中にありながら独特な生態をもっていることなどから、地史的、学術的に貴重な動物だといわれています。
しかし、近年、開発行為による生息地の破壊や分断がエゾナキウサギの生存にとって深刻となってきており、また、地球環境の温暖化も大きな脅威です。
そこで、私たちは、現在見直しが進められているレッドリストにおいて、エゾナキウサギを絶滅危惧U類に指定すべきことを要望いたします。
第2 要望の理由
エゾナキウサギは、@ 生息環境が特殊であること、A 分布範囲が狭く分布密度も低いこと、B 繁殖率が低く子ウサギの生存率が低いこと、C さらに生理的に高温・排気ガス・ストレスや環境の変化に弱いことなどの理由から、自然現象によっても開発行為によっても、絶滅しやすい動物です。そこで、D 開発行為による生息地の破壊や分断、E 温暖化による脅威に対して、エゾナキウサギを保護する必要が大きいのです。以下詳述します。
@ 生息環境の特殊性 及び A 分布範囲が狭く分布密度も低いことについて
エゾナキウサギの主な生息地は、北見山地、大雪山系、日高山系、夕張山地などの山岳地帯で、北海道全体の面積の約1割の地域にしか分布していません。
これは北海道の陸生哺乳類としては非常に狭い分布域となります。
しかも、ナキウサギが生息可能なのは、岩が堆積した岩塊地です。岩塊地はどこにでも あるわけではなく、上記分布域の中でもさらに限られた場所にしか存在しません。しかも岩塊地は小面積のものが点在あるいは連続している状態のことが多く、実際にナキウサギが生息する岩塊地の総面積は上記分布域の数パーセントしかないことが推測されます。つまり、エゾナキウサギの分布は極めて狭い上に、その生息密度も非常に低いのです。
B 繁殖率と生存率の低さについて
エゾナキウサギの繁殖率と子ウサギの生存率の低さも、ナキウサギの保護を考える上で 重要です。エゾナキウサギの出産は1年に1回、ときとして2回ありますが、1回の産子数は2〜4です。エゾナキウサギは出産時、少しの刺激でも流産するといわれ(芳賀 1958)、繁殖率はとても低いと考えられます。
また、エゾナキウサギのこどもは生まれた年の夏の終わりには親のなわばりを出て、新たになわばりを確立する必要がありますが、前述のように岩塊地は極めて限られているため、なわばりの確立には多くの困難が伴います。子ウサギが分散するのは、気温が高い夏の終わりですが、強い陽射しと天敵を避ける岩穴がない場所を長距離移動するのはとても危険です。しかも無事たどり着いても、貯食して冬を乗り切るのはさらに厳しいことです。このように試練が多いため、子ウサギの生存率はとても低いと考えられます。直接のデータはありませんが、アメリカの研究例からもそう考えられます(Andrew.T.Smith 1974)。
C 高温、排気ガス等に弱いこと
さらにエゾナキウサギは、寒冷な気候に適応してきたためか、生理的に高温に弱いとされています(芳賀 1958,小野山 1991)。アメリカナキウサギの研究では体温が一度上がっただけでも死亡するといわれています(Andrew.T.Smith 1974)。岩塊地の岩穴の温度が外気温より低いことも、ナキウサギが岩塊地を必要とする理由だと考えられます。ナキウサギが生息する低標高の岩塊地において、地下に永久凍土や季節的凍土が形成されていて、夏でも岩のすきまから冷風が吹き出す「風穴(フウケツ)」現象がみられることが多くあります。こうした風穴の周囲にはコケモモやイソツツジなどの高山植物も多くみられます。これらの関連性は学術的にも重要であり、今後さらに研究が必要だと考えられます。
また、エゾナキウサギが排気ガスに弱いことはダウリナキウサギで知られています。また、南極のペンギンを飼育すると、肺にアスペロギロシスというカビが繁殖してそれが死亡原因となりますが、エゾナキウサギも飼育下ではこのカビに肺が侵されるといわれています。(川道 1994)。
D 開発による生息地の破壊と分断
エゾナキウサギが絶滅しやすい動物であることは、上記のような生態と生息環境の特殊性から明らかですが、生息地における開発行為や地球温暖化は、この絶滅の脅威をいっそう増加させるものです。
現在、林野庁が建設を進めている大規模林道(「緑資源幹線林道」)の建設や、生息地での自動車ラリー、そして森林伐採がそれです。これらはいずれも標高の低い場所の問題ですが、低標高地では岩塊地が少ないため生息地の損失が及ぼす影響は大きいといえます。また、低地は山岳部の個体群の移動分散ルートに位置するので生息地保全の必要がありまが、道路の建設により生息地が壊されたり、車両による振動、排気ガス、交通事故の危険により、繁殖率の低下と子ウサギの死亡率を高める恐れがあります。
また、生息地の分断により遺伝的交流が妨げられると、特定の病気や気候の変化などで個体群が一気に絶滅に向かう危険性があることはいうまでもありません。
「エゾナキウサギの生息地は主に国立・国定公園内なので保護は十分である」という意見もありますが、それが実態に反することは、大雪山国立公園の中に計画された「士幌高原道路」(道道士幌然別湖線)や、日高山脈えりも国定公園内に計画された「日高横断道路」(道々静内中札内線)がナキウサギ生息地を通過して計画されていたことからも明らかです。
国立・国定公園内でさえ保護されていないのですから、公園外では開発が日常的に行なわれており、生息地に対する脅威はあとを絶ちません。
E 地球温暖化による脅威
地球温暖化による影響も深刻です。温暖化が進むと、400メートル程度標高があがった場所の気温が現在の気温に相当するといわれています。エゾナキウサギの垂直分布が現在の気温によって決定されているとすると、温暖化により生息地の垂直分布も400メートル上昇して、生息地の20%もが消失してしまうといわれています(川道)。生息地が山の頂上部に限定され、エゾナキウサギは山ごとに孤立し、絶滅しやすくなります。
近年の研究例でも、アメリカの中国新疆ウイグル自治区に生息するイリナキウサギは、10年前に生息していた14地点の内6地点しか生息が確認できませんでした(Li Wei-Dong and Andrew.T.Smith 2005)。また、アメリカのグレートベイスンでは、アメリカナキウサギ(Ochotona princeps)の25の個体群が消失していました(Beever et al. 2003)。グレートベイスンの孤立した山々の頂上に生息している哺乳動物が、地球温暖化によってその生息域を生息場所が少ない標高の高い場所まで追い上げられ、その結果、広範な種の絶滅がもたらされた結果だと考えられています。同様に、カナダのユーコンでは、クビワナキウサギ(O.Collaris)が異常に積雪が少ない暖冬が続いたため激減していました。
一般に、岩場住まいのナキウサギは草原住まいのナキウサギと比べて、生息密度が低い上に繁殖率も低いので、個体群の絶滅に対して非常にもろいといわれています((Li Wei-Dong and Andrew.T.Smith 2005)。岩場ずまいであるエゾナキウサギにとって、上記の例は決して他山の石ではないのです。
エゾナキウサギの個体数や個体群の変動がこれまで十分調査されていなかったこともあり、「高山帯の生息状況が安定していれば、ナキウサギ全体も安泰である」と楽観視し、高山帯のナキウサギだけを保護すれば十分であるという風潮があります。しかし、グレイトベイスンのアメリカナキウサギが急速に個体群を減少させたように、開発や温暖化により低い標高の生息地を失うことは、種の存続にとって極めて危険なことです。海外の報告事例はエゾナキウサギに対する大きな警告と受け止めてエゾナキウサギを保護する第一歩として、レッドリストにエゾナキウサギを絶滅危惧U類として登載することは急務です。